【アラベスク】メニューへ戻る 第18章【恋愛少女】目次へ 各章の簡単なあらすじへ 登場人物紹介の表示(別窓)

前のお話へ戻る 次のお話へ進む







【アラベスク】  第18章 恋愛少女



第2節 休日の午後 [2]




 ノートへ視線を戻す。
 子供の日イベントか。唐草ハウスは小さい子供も居るらしいから、賑やかになるんだろうな。
 いろんな事情で施設での生活を余儀なくされた子供たち。普通の生活のできない人々。
 でも、普通の生活って、いったいどんな生活なんだろう?
 自分の境遇が普通だとは、美鶴は思ってはいない。
 水商売をしている母親との二人暮らし。父親は誰だかわからず、毎日の生活も不安定。きっとこんなのはフツウではないのだろう。
 フツウってのは、やっぱり両親二人が揃っているのが前提なのだろうか。だとしたら、瑠駆真もやっぱりフツウの家庭で育ったというワケではないという事になるのかもしれない。
 だったら、聡のような境遇が、フツウの生活?
 しかし、彼の両親は聡が小学生の時に離婚した。母親に引き取られた聡は母方の祖母と三人で暮らした。やがて母親は再婚し、今は義父や義妹と四人で暮らしている。
 これは、フツウの生活なのだろうか?
 違うと言うのなら、じゃあ、フツウの生活って?
 ツバサの家庭では、兄が失踪している。蔦の家庭事情は知らない。
 見渡してみると、フツウの生活を送っている人間など、美鶴の周りにはいないような気がする。
 類友? 私が非フツウ的な生活を送っているから、だからそういう人間ばっかりが集まってきちゃったワケ?
 友。
 ふとその言葉に、チクリと胸が痛んだ。
 里奈は、普通の家庭に育ったのだろうか?
 美鶴が見る限り、彼女の家庭はフツウであったような気がする。両親共健在で、娘の里奈は優秀でテニスの成績も素晴らしく、周囲からも羨ましがられるような暖かい家庭だったはずだ。
 里奈は、普通の家庭に育った。だが今、それは崩壊している。
 目の前がチカチカした。
 それを壊したのは、自分という事になるのだろうか?
 要因は他にもある。例えば澤村(さわむら)。彼の存在も原因の一つだ。だが、美鶴が里奈の傍を離れなければ、里奈は施設に篭る事などなかったのかもしれない。
 あの時、里奈と仲違いなどしていなければ、自分は本来、どのような道を歩いているはずだったのだろうか?
「どうかしたのか?」
 落ち着いた声の中に小さな不安を潜ませて瑠駆真が尋ねる。
「え?」
「何してる?」
「えっと、生物」
「こんな薄暗闇で?」
「え?」
 顔をあげて見渡す。いつの間にか夕暮れ。あたりは茜色に染まり、駅舎の中には闇が入り込み始めている。手元には影。見えない事もないのだが、手元がこれだけ暗いと勉強などは(はかど)るはずもない。
「何を考えていた?」
「べ、別に」
 慌てて誤魔化そうとする姿に、瑠駆真の声が少し落ちる。
「霞流か?」
 美鶴の動きが止まった。だがそれは一瞬の事で、大きな動作で机の上を片付け始める。
「今日はもう帰る」
 その一言に、二人もゆっくりと帰り支度を始める。
「霞流には会わせねぇぞ」
 呟くような聡の言葉を、美鶴は完全に無視した。
 入り口に鍵をかけ、駅へ向かう。なんとか二人を追い払い、一人で帰宅する。最寄の駅に着く頃には、陽は完全に落ちていた。暗くなれば、まだ少し肌寒い。春コートを羽織って颯爽と追い越していくOLの後姿を眺めながら、美鶴はのんびりとマンションへ向かった。
 なんとなく、春だな。
 冬眠から目覚めた熊の頭は、このようにぼんやりとしているのだろうか?
 答えの出ない疑問を頭の隅に追いやり、入り口で暗証番号を押して中へ入った。エレベーターのボタンを押したが、かなり上から降りてくるようだ。二台あるエレベーターのうち、一台は上がっていったばっかり。途中停止を繰り返しているから、しばらくは降りてはこないだろう。もう一台は最上階から降りてくるようだ。だがこちらも途中で停止し、しばらく動かない。結局はかなり待つハメになりそうだ。
 高層マンションって、結構不便だよな。
 一年ほど前まで住んでいた木造二階建てのボロアパートを懐かしく思いながら、一度マンションを出る。郵便受けを確認する。
 郵便を確認するのにいちいち守衛室の前を行ったり来たりするのも面倒な事だ。
 エレベーターホールへ戻るが、まだ二台とも降りてはこない。溜息をつきながら手元の郵便物に視線を落とした。
 不動産やら宅配ピザの広告に、真っ白な封筒が混じっていた。他の広告があまりにも派手で賑々しいので、その簡素さが目立った。
 手紙?
 自分にも母にも縁のない代物。不思議に思って手に取った。
 親愛なるMithuruへ
 Mithuru? ミツル? 美鶴?
 私?
 手首を捻ってひっくり返す。その時、エレベーターが品の良い音を立てた。



 送り主はメリエムだった。切手は貼ってなかったので、郵送ではない。直接郵便受けへ投函したのだろう。
 彼女が美鶴の住所を知っているのは当然だ。なにせ、このマンションを美鶴母子に提供しているのは、瑠駆真の父親なのだから。
 メリエムさんが、私に手紙?
 まったく心当たりはない。
 小さな不安を胸に封を開いた。
 封筒と同じ、真っ白な手紙が入っていた。ただ、周囲には細い線で唐草のような模様が入っており、簡素ではあるが殺風景ではない品の良さを漂わせている。
 内容は簡潔だった。明後日の日曜日、午後に会いたいと。以前に入った喫茶店で待っていると記されていた。以前に入った、個人経営をしているような小さな喫茶店。このマンションからなら歩いていける。
 明後日。予定は無い。行く事はできる。
 美鶴は頭の中で、何の予定も記されていない真っ白なスケジュールを確認しながら、それでもなんとなく迷ってしまった。
 どうして、手紙なんかをよこしてきたのだろう?







あなたが現在お読みになっているのは、第18章【恋愛少女】第2節【休日の午後】です。
前のお話へ戻る 次のお話へ進む

【アラベスク】メニューへ戻る 第18章【恋愛少女】目次へ 各章の簡単なあらすじへ 登場人物紹介の表示(別窓)